こころのお話

あなたは大丈夫?「ホンモノの謙遜」と「なんちゃって謙遜」

目次:
1.日本のすばらしき文化、謙遜の美徳
2.人をイラっとさせる「なんちゃって謙遜」
3.「なんちゃって謙遜」本当の恐ろしさ
4.過剰な謙遜「めんどくさい人」→ なろう!「〇〇な人」へ**************************************************

1.日本のすばらしき文化、謙遜の美徳

日本には、謙遜の美徳という文化が存在します。
お中元とかお歳暮とか、贈りものをするとき、
「つまらない物ですが、どうぞ」
と言ったりするのが、もはや定番。
粗末なものとして「粗品」という熨斗紙も張ってあったりして。
それなのに、明けてみたら、虎屋の羊羹とかゴディバのチョコレートとか、
「全然粗品じゃないじゃーん!」なんて思ったりすることも多々あり。笑

私たちは、小さい頃から、自分の両親や目上の人がそういうのを見聞きしています。
「なんでつまらないものあげるんだろー?」
と疑問を持ちつつも、
感謝と笑顔で受け取っていただけるやりとりをモデリングし、
「つまらないものですが」が決まり文句!
そう言うのがいいことだと無意識に思っている人も多いのではないでしょうか。

そもそも、「謙譲の美徳」というのは、
自分を実際よりも低く見せることによって、相手の地位を高め尊敬しよう、とする気持ち。
物をあげるときは、自分を低くすることで、相手に気持ちよく受け取ってもらおうとする、思いやりの態度なのです。

「本物の謙遜」は、本人も相手も周りの人も、気持ちよく心地よくさせるものです。
相手に敬意を表して、それが相手に素直に伝わる。
なぜなら、
「わたしも、相手も、価値がある」という在り方だから。
自分の価値は自分でしっかり認めたそのうえで、相手の価値を上げます。
だからこそ、お互いにとても心地よく感じるのです。
日本ならではの謙遜という文化、すばらしいですね。

2.人をイラっとさせる「なんちゃって謙遜」


それでもその本質を理解していないと、
「ホンモノの謙遜」が「なんちゃって謙遜」になり、
相手をイラっとさせる「めんどくさい人」になる可能性が・・・

「○○さんて、素敵ですね」と言われたとき、どう返しますか?

「いえいえ、わたしなんか」
「いえいえ、とんでもありません」
「いえいえ、そんなことありません」
「いえいえ、あなたの方こそ」

自分ではこう返事することが「謙遜」であり、相手にとっていいこと、
のつもりが、
実はこのコミュニケーションは、残念ながら相手を不快にさせてしまう場合がほとんど。

はい、わたしも経験あり!です。

かつて、よくなりたい、変わりたい、と思い、
どうせ学ぶなら、プロのカウンセラーになる勉強しようと思いたち、カウンセラー養成講座へ。
もともと、カウンセラーになろうと思って行っているわけではないのだけど、周りがいっぱいほめてくれる。
対面、電話、メールなど、カウンセリングでいい評価をいただくと、

「すごいね、才能あると思う」 → 「えー!そんなことないよー」
「頑張ってるよね」      → 「こんなこと、誰でもできることだよ」
「カウンセラーに向いてるよ」 → 「とんでもない!○○ちゃんの方こそ」

そんなこと繰りかえしてたら、ある日突然言われました。
とってもショックなひとことを。

「せっかくプレゼントあげたのに、いらない、って捨てられた気分」

!!!!!
この言葉はほんとうにショックでした。
自分のうしろに、捨てられたプレゼントの山が見えたのです。。

3.「なんちゃって謙遜」本当の恐ろしさ


過剰な謙遜は、
実は、「あなたは人を見る目がありません」というのと一緒。
相手の評価を否定することになり、
実は、「わたしはあなたを信用していません」ということと同じ。
だから、よかれと思って言ったことばは、逆に、相手を不快にさせてしまうのです。

不快にさせる最大の理由はもうひとつ。

「わたしは価値のない人間だ」」
「わたしは大した人間じゃない」

「わたしもあなたも価値がある」という在り方の、ホンモノの謙遜とは違い、
以前のわたしは、ずっとこう思いこんでいました。
自分の能力・才能・価値を下げて、相手の価値を上げようとする「なんちゃって謙遜」は、
相手への敬意が素直に伝わりません。
「謙遜」と「自己卑下、自己否定」は、ほんとにもう、まったく違うものなのです!!

それでも、自分の価値を下げて、相手の価値を上げることにはメリットがあります。
「わたしにはそんな価値ないよ」っていうと、
「そんなことないよ」って否定してくれます。
みなさん、こころやさしいので。

この、相手からの「そんなことないよ」承認を与えてもらうことが、
自己否定する人の、真の目的だったりします。
もちろん無意識レベルのお話。
なので、なんちゃって謙遜をする人と一緒にいると「めんどくさい」と感じて、疲れてしまうのです。

そんなことしていると、当然、人は離れていきます。
そして、二度とほめようと思わなくなるのが人。
本当は認めてもらいたいはずなのに、二度と欲しいもの、ことばのプレゼントが来なくなってしまいます。
なにより、自己肯定、つまりいつまでたっても自分に自信がつきません。

4.過剰な謙遜「めんどくさい人」→ なろう!「〇〇な人」へ

過剰な謙遜は、「あなたは人を見る目がありません」というのと一緒。
相手の評価を否定することは、「わたしはあなたを信用していません」ということと同じ。

「わたしには価値がない」

大きな思い込み、コアビリーフがあったとしても、
自分に自信がなくても、
まずは相手のために、素直に受け取ることがとても大切なこと。
自信がない→自分が信じられないなら、まず自分を信じてくれる相手を、信じてみること。そうすると自然に自信がついてくるものです。

では受け取るためにはどうすればいいのでしょうか。
それは「謙虚」でいることです。

謙虚、と言われてもねぇ。
明確な意味や概念が存在しないのも、また謙虚。
イメージ的には、偉そうにしない、へりくだった態度、相手を敬う、控え目といった感じでしょうか。

「素直に相手の意見を聞き入れること」

これもまた、謙虚のひとつの意味、
謙虚とは、実は、素直にそのまま受け取ることなのです。

「めんどくさい人」から「謙虚な人」になるには、
まず「ありがとうございます」という感謝の気持ちで受け取ること。
そうすると、自分も相手も肯定することになります。

大切なのは、相手が感じたことを素直に伝えてくれたことに対する感謝の気持ち。
自分がそう思うか思わないかは、あんまり関係ないのです。

「伝えてくれて、ありがとう」

感謝の気持を表し、受け取ることこそ、自分の喜びも、相手の喜びも2倍になる関わりです。

人が自分に対してメッセージを送ってくれるということは、当たり前のことではありません。
本当に特別なことなのです。

「ありがとう」の意味とは、
有難いこと、つまり、存在することが難しいこと、有り得ないことに対する感謝の気持ち。

もし、あたたかく穏やかで、居心地のよい人との関係を求めるのなら、
与えてもらったときは、素直に受け取ること、
そして、感謝の想いを込めて伝えましょう。

「ありがとうございます」