この上半期は大きな気づきの多い半年間でした。
いっぱいあるけど、最近のことから。
「わかりあうを手放す」
【1.わかりあうを手放すって?】
ことの発端は、10数年来の友人が、本当に久しぶりに書き始めたこと。
彼女の紡ぎだす文章が昔から大好きで、喜びとともに一気に読み進めた。
自分とちゃんとつながっている人の文章は、読んでいて本当に心地よい。
人とつながる
世界とつながる
そのために最初にやることは、
自分とつながること
わたしは、絶対共感ゆえに「人とわかりあう」ってことを手放すことが課題。
「わたしはこう思ってる、感じてる」って自分とつながってるけど、アウトプットまでできないことがある。
エネルギー的にいつでもつながっているから大丈夫、という究極の安心感。
その、いつでも人と自然と世界と宇宙とつながっている絶大な安心感は、
自分とつながり、さらに、表現することが大切なんだよねー。
そんな話をしたら、投げかけられた。
「わかりあうを手放すって、どんな感じなんだろう?」
そこから一気に内省のはじまりはじまり。
【2.語った方が愛される】
そんなこと無理と知っているのに、どこかでみんなに愛し愛されたいって思ってる。
そして、人が大事で気持ちが大事だからこそ、
共感を得られなかったときのことが怖い。
自分のことを話したら、怪訝な顔をされそうなのが怖いのだ。人よりもはるかに。
でも、ふと思った。
そもそも
わたしは全てに愛されている
わたしは全てを愛している
条件がつくとき、それを愛とは呼ばない。
「私は」と語った方が、より愛されるのではないかと。
万人に愛されることが本当の望みなのかと。
万人と分かり合えなくてよい
万人とつながれなくてよい
なにより、わたしにはすでにつながっている人がいて幸せだ。
そして、世界のどこかにまだ見ぬ必ず通じ合える人がいる。
誰かが必ず待っているのだ。
そうだ、語ろう!自分を伝えよう!
と前向きになったところで、まだ終わりではなく、更なる衝撃が待っていた!!
【3.守るどころか、寂しい思いをさせていた!】
開いた私は、また別の友人になおこワールドを炸裂した。
自分がどう感じ、世界がどう見えているのか、誰にも話していない話をいっぱいしてしまった。彼女は驚きつつも同時に嬉しかったと言ってくれ、
「なおちゃんのこと、私全然理解できてなかったんだな」
この瞬間、すべてを悟った。
わたしの世界を、わたしが語らないことが、
相手に寂しい気持でいっぱいにさせてしまうのだということを。
わたしは、人を幸せにしたいと思いつつ、
つながりを大事にしたいと思いつつ、
大切な人との関係を守るどころか逆に寂しい思いをさせてしまっていたのだ。
長い長いつきあいの大切な人に、こころを開いていなかった。
自分がどう思われるかばかり気にしていて、相手の気持ちなんて全く考えておらず、
結局、自分のことしか考えていなかったのだ。
そう気づいたら、申し訳なさと情けなさと自責と猛省とで、悶絶した。
その日はショックで呆然、枕を涙で濡らす夜になったよね。。
時を同じくして、彼女もまた自分を責め反省していた。
今更初めて聞くことが多く、これまで自分ばかり聴いてもらい、聴いてあげなかったんだと。
いやいや、私が話さないんだから、聴くことはできないよね。。ほんとごめん。。
【4.つながるには「自分語り」】
わたしは、子供の頃から人と見ている世界や感じていることが違い、
それを口にすると、怪訝な顔をされることが多かった。
「変な子」
「気持ち悪い」
「弱い子、ダメな子」
あ、これって言っちゃいけないんだ。
もう話すのやめようって、どこかで決断したのだ。
『変に思われるから、自分のことは話さない』
人と違って自分が変だから、
わたしは実は宇宙人で、いつかUFOが迎えにくると思ってた。笑!
空や雲を見て1~2時間ぼんやり過ごすなんてよくあることだった。
鏡の前に立っていると宇宙にいけるので、そうやって過ごすことも大好きだった。(←変でしょ?今でも時々やる)笑!
自分が変わってるから、変に思われるから話さない。
いつしか、「自分のことは話さない」ってことが当たり前になっていたのだ。
それは、自分を守るための手段で
大切なものを守るための手段で
人とつながり、愛されて生きるための手段だったはず。
まさに顛倒夢想。
誰ひとり幸せになっていないというこの現実。
他人のことを考えているつもりが、自分のことしか考えていなかった。
大切なものを守っているつもりが、それどころか悲しく寂しい思いをさせていた。
相手を大事にしているつもりが、相手も自分も大事にできていなかった。
わたしが一番大切にしたいものは、大切にできていなかったのだ。
必要なことは、
わかちあうこと
表現すること
自分語り
あーーーーー
講座でも研修でも個別セッションでも、いつも伝えていることが自分はできていなかった、、、という残念さは置いといて。
人とわかりあうを手放すとは、人とわかりあうに焦点しないことだった。
「自分を語る」ことに焦点すれば、自ずとつながることになるのだ。
また少しづつアウトプットしていこうと思う今日このごろです。